メンタルにゅーすVol.219

メンタルにゅーすヒエダ

 

「福祉のあり方」

2016年  Vol.219

CIL(自立生活センター)下関発行

ピア・ハート下関(精神自助会) 編集 SAM

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E-mail  s-cil@feel.ocn.ne.jp

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  CIL下関で、SAMは他団体機関誌の管理の担当の仕事をしていますので、今回特に印象に残った福祉の古くて新しい問題を提起されたNPO法人自立生活センターぶるーむ機関誌Vol.32(2016.7夏号)()(ぬぎ)氏の文章より考えてみたいなと思います。それは「おおかみ少女」というタイトルです。以下の文章をご参考ください。このおおかみ少女の話は、インドで狼に育てられたというお話で、1920年に発見されたカマラとアマラの二人の孤児の少女のことで写真や資料が残っていますが、本当かうそか今となっては確認が取れずにいます。日本におおかみ少女のことを翻訳紹介した人は、生月雅子さんで、1955年翻訳出版された「狼にそだてられた子」(アーノルド・ゲゼル著、生月雅子訳新教育協会)や広島大学の中野善達さんという人の「ウルフチャイルド」(C・マクリーン著1975年、中野善達編訳)です。興味があったら、本やネットで詳しく調べてみてください

 

おおかみ少女(しょうじょ)

()(ぬぎ) (よう)(へい)

立場(たちば)(よわ)いと(なん)されてもしょーがないってのは(くや)しいですけど、(さか)らったらフルボッコです。福祉(ふくし)って(こわ)いですね。

 で本題(ほんだい)なんですが。「(おおかみ)少女(しょうじょ)」って()いたことないですか?ガセ(ばなし)有名(ゆうめい)(おおかみ)(そだ)てられた2(ふた)()(おんな)()のお(はな)しです。 (うそ)本当(ほんとう)かは(べつ)にして、あの()(たち)以外(いがい)にも、人間(にんげん)社会(しゃかい)から()(はな)された環境(かんきょう)で、()きていた(れい)はいくつかあるそうです。その(れい)のほとんどの()が、その生活(せいかつ)環境(かんきょう)適応(てきおう)した状態(じょうたい)発見(はっけん)されてるそうです。マユツバですけど、まぁそうらしいです。

 

 そんで、発見(はっけん)&確保(かくほ)されたら人間(にんげん)社会側(しゃかいがわ)()れてかれて、人間(にんげん)社会(しゃかい)()ていけるかどうか研究(けんきゅう)対象(たいしょう)として教育(きょういく)(ほど)されたとか。言葉(ことば)や、食事(しょくじ)仕方(しかた)や、(ひと)対人(たいひと)挨拶(あいさつ)などなど。人間(にんげん)社会(しゃかい)()きる(いじょう)社会(しゃかい)(おおかみ)ちゃんを()()れる環境(かんきょう)(つく)るのと同時(どうじ)に、(おおかみ)ちゃんも人間(にんげん)社会(しゃかい)のルールを()につける必要(ひつよう)があります。獲物(えもの)()るように(みせ)商品(しょうひん)無断(むだん)()べたら強盗(ごうとう)ですし、親愛(しんあい)(しめ)(ため)相手(あいて)首筋(くびすじ)をペロペロしたら変態(へんたい)です。「わたし(おおかみ)少女(しょうじょ)だから!」なんて()(ぶん)は、()えるだけで社会(しゃかい)脅威(きょうい)でしかありません。相手(あいて)変態(へんたい)なら問題(もんだい)ないですが、人間(にんげん)社会(しゃかい)突発(とっぱつ)マイノリティの(おおかみ)ちゃんを()()れる(ため)に、(みせ)強盗(ごうとう)され放題(ほうだい)今後(こんご)挨拶(あいさつ)首筋(くびすじ)()めるように社会(しゃかい)変化(へんか)させる(わけ)がありません。

 

 それでも(おおかみ)ちゃん(たち)()(のこ)(ため)野生(やせい)適応(てきおう)したように、(まわ)りの努力(どりょく)もあって人間(にんげん)社会(しゃかい)適応(てきおう)しようとします。適応(てきおう)結果(けっか)事例(じれい)ごとにバラバラみたいですけど。で、ここで個人的(こじんてき)疑問(ぎもん)が。(おおかみ)少女(しょうじょ)ってだけで疑問(ぎもん)しかないですが、もし(おおかみ)ちゃんを人間(にんげん)社会(しゃかい)()れて()かず、野生(やせい)環境(かんきょう)人間(にんげん)として()きるように教育(きょういく)することは可能(かのう)なんでしょうか?

 

 普通(ふつう)(かんが)えたら、まず、教育(きょういく)する(まえ)()げちゃうだろって(おも)いますが、そこは脳内(のうない)補完(ほかん)します。大人(おとな)しくハァハァ()いながらお(すわ)りしている(かん)じです。兄弟(きょうだい)(たち)?が獲物(えもの)をガツガツ()べてる(よこ)で、ナイフとフォークを使(つか)って生肉(なまにく)(くち)(はこ)び、()()んで()べるように(おし)えるなんてことは可能(かのう)なのでしょうか。

 

 よく()うクマさんに()ったらコンニチハ、獲物(えもの)横取(よこど)して(おこ)られたらゴメンなさい、分けてくれたらアリガトウを()うように(おし)えることは可能(かのう)なのでしょうか。そんな状況(じょうきょう)ありえないので想像(そうぞう)するしかないんですが、当然(とうぜん)無理(むり)です。だってフォーク使(つか)って()べる必要(ひつよう)ないですもん。兄弟(きょうだい)への威嚇(いかく)使(つか)った(ほう)合理的(ごうりてき)食事(しょくじ)ができます。クマさんに挨拶(あいさつ)してたら途中(とちゅう)(なぐ)られそうですし、ゴメンなさいはお(なか)を見せないと(つた)わりません。アリガトウは(はな)キスなんていいかもです。

 

 つまり、(なに)をまわりくどく()いたかったかというと、「環境(かんきょう)()えずに、(もと)行動(こうどう)思考(しこう)()えることは()にかなっていない」ということです。野生(やせい)()らす人間(にんげん)に、人間(にんげん)社会(しゃかい)()きる方法(ほうほう)()につけさせるなんて、人間(にんげん)社会(しゃかい)からの()()けでしかありませんし、その(ぎゃく)同様(どうよう)です。人間(にんげん)なんだから人間(にんげん)らしくって気持(きも)ちはわかるんですけどね。ただ、ここで()になるのは、「野生(やせい)」ではなく「人間(にんげん)社会(しゃかい)()きる」にも(かか)らず、「野生(やせい)(おおかみ)ちゃんのままでいいじゃないか」と()(かんが)えが主流(しゅりゅう)になりがちだということです。そのままの(おおかみ)ちゃんを社会(しゃかい)()()れるべきだって(かんが)えですね。なんか正論(せいろん)()こえます。万引(まんび)きしても、ペロペロしても(おおかみ)ちゃんだからいいじゃないか!()りは特性(とくせい)だ!ペロペロはステータスだ!みたいな。ゾクゾクしますが、大多数(だいたすう)(ひと)からしたら不気味(ぶきみ)犯罪者(はんざいしゃ)でしかありません。

 

 自分(じぶん)とは関係(かんけい)なく(そと)から(なが)める(ぶん)には()えるけど、自分(じぶん)生活(せいかつ)(かか)わってくると迷惑(めいわく)この(じょう)ないというか。そんで、じゃあどうしようってなった(とき)人間(にんげん)社会(しゃかい)がどうするかと言うと、とりあえず自分(じぶん)(たち)生活(せいかつ)影響(えいきょう)()いように隔離(かくり)軟禁(なんきん)することは間違(まちが)いありません。もしくは飼育員(しいくいん)指導員(しどういん)みたいな(ひと)(そば)()けて、社会(しゃかい)(おおかみ)ちゃんの(あいだ)にクッションを()れようとするのは当然(とうぜん)(なが)れだと(おも)います。社会側(しゃかいがわ)としてはそっちの(ほう)(らく)ですしね。そのままの(おおかみ)ちゃんが人間(にんげん)社会(しゃかい)適応(てきおう)しようがしまいがそんなのは関係(かんけい)()く、ただ無害(むがい)()ればいいんですから。社会側(しゃかいがわ)負担(ふたん)最低限(さいていげん)以下(いか)教育(きょういく)・インフラ・制度(せいど)()んで予算(よさん)激安(げきやす)です。

 

 なので人間(にんげん)社会的(しゃかいてき)にも(おおかみ)ちゃんは「人間(にんげん)」じゃなく「(おおかみ)」でいてもらった(ほう)都合(つごう)()いんです。社会(しゃかい)都合(つごう)と、そのままの(おおかみ)ちゃんで()いじゃないかという(かんが)えは、お(たが)いの思惑(おもわく)()えて利害(りがい)一致(いっち)しているので、(たが)いに文句(もんく)()いながらも(いま)環境(かんきょう)()えようとはしません。主流(しゅりゅう)(かんが)えになっちゃうのも()かります。

 

 で、こんな環境(かんきょう)にいる(おおかみ)ちゃんが、どんな行動(こうどう)&思考(しこう)()につけるかは、現実(げんじつ)障害者(しょうがいしゃ)問題(もんだい)()ているので簡単(かんたん)想像(そうぞう)できます。想像(そうぞう)できなかったらすいません。文章(ぶんしょう)(なが)くなっちゃうので(はぶ)きます。まー、でも、こんな環境(かんきょう)(おおかみ)ちゃんの主体性(しゅたいせい)だとか権利(けんり)差別(さべつ)()場合(ばあい)、その環境(かんきょう)積極的(せっきょくてき)構成(こうせい)してる(まわ)りの人間(にんげん)がそれを()うっておかしくないですか?(おおかみ)ちゃん(しゃ)れないんじゃ?ってのは()いといて。

 

 環境(かんきょう)自体(じたい)(おおかみ)ちゃんの(ひと)としての主体性(しゅたいせい)権利(けんり)否定(ひてい)している構造(こうぞう)なのに、その構造(こうぞう)()()したい(ひと)(たち)や、そのつもりが()くても無知(むち)善意(ぜんい)でその構造(こうぞう)(きょう)()しちゃって(ひと)(たち)(おおかみ)ちゃんの権利(けんり)差別(さべつ)をうたうってどーなんですかね?(なに)がしたいのか意味(いみ)がわかりませんが、意味(いみ)がわかるから余計(よけい)意味(いみ)不明(ふめい)というか。これこそ茶番(ちゃばん)で、予算(よさん)()(がわ)がほくそ()むだけです。

 

 右肩(みぎかた)()がりの社会(しゃかい)状況(じょうきょう)であったなら、なおさらです。だから運動(うんどう)する(うえ)当事者(とうじしゃ)団体(だんたい)というのがあって、そこで活動(かつどう)する当事者(とうじしゃ)じゃない人間(にんげん)は、その団体(だんたい)(うんどう)をする(ため)自分(じぶん)()位置(いち)や、その()にいる意味(いみ)勉強(べんきょう)(つづ)けないといけないんだそうです。

 

 話(はなし)がえらいそれました。それましたかね?勉強(べんきょう)不足(ぶそく)でよくわかりません。ともかく、(おおかみ)ちゃんにとって不都合(ふつごう)なこと、つまり差別(さべつ)()きること前提(ぜんてい)環境(かんきょう)差別(さべつ)()くそうとするなら、まずその環境(かんきょう)()えようと努力(どりょく)していくことが当然(とうぜん)のやり(かた)じゃないでしょうか。その(ため)には自分(じぶん)(いま)環境(かんきょう)(なか)で、どんな()位置(いち)で、(なに)をすることが(いま)(おおかみ)ちゃんにとって不都合(ふつごう)環境(かんきょう)(こう)(せい)しているのかを認識(にんしき)していなければなりません。その認識(にんしき)をもとにして(はじ)めて、(いま)環境(かんきょう)()える(ため)自分(じぶん)(なに)をすれば()いか、(なに)をしてはいけないかが()えてきます。環境(かんきょう)()えずにその(なか)でがんばっても、その環境(かんきょう)強化(きょうか)するだけなので、環境(かんきょう)()える方向(ほうこう)でがんばってほしいと(おも)うんですが、中々(なかなか)がんばってる(ひと)否定(ひてい)するのは(むずか)しいです。

 

 否定(ひてい)したらフルボッコされちゃいますし。福祉(ふくし)って(こわ)いですねー環境(かんきょう)()えないと行動(こうどう)()わらないですけど、行動(こうどう)()えないと環境(かんきょう)()えられないのも事実(じじつ)なので、ちゃんと(べつ)問題(もんだい)として並行(へいこう)して(かんが)える必要(ひつよう)があるのかなと(おも)ったりする今日(きょう)この(ころ)でした。』

 

【編集後記】

 アマラとカマラは現在の西ベンガル州ミドナプール(Midnapore)付近で発見され、孤児院を運営するキリスト教伝道師ジョセフ・シング(Joseph Amrito Lal Singh)によって保護、養育された。シングは、2人が幼少時に親に捨てられた後オオカミに育てられた野生児だと主張し、文明から切り離されて育てられた子供の事例として有名な逸話となった。しかし、これら2人に関する詳細は、シング1人により宣伝、報道されたものだったため、その信憑性について多く議論がなされた。現在では、ヒトがオオカミに育てられるのは生態上困難であることなどから、研究者により彼女たちは野性児ではなく自閉症もしくは精神障害の孤児だったと考えられている。また、シングの話にはかなり創作が含まれていると推測されている。シングの日記に、2人を救出してから養育し、死をみとるまでの記録が23枚の写真とともに詳細に残されている(ただし、23枚の写真のうち1枚はアマラとカマラを診察した医師の写真のため、彼女らを写したものは実質22枚である)。それには次のように記録されている。シングは伝道旅行の途中に、ミドナプールとモーバニの境にあるゴダムリ村で、牛小屋に泊めてもらった。そのとき現地のチュナレムという男に、近くのジャングルに恐ろしい化け物がいるから追い払ってほしいと依頼される。依頼を引き受けて調査に向かい、19201017日にシロアリ塚でオオカミと暮らしている2人の少女を発見、保護した。シングは2人を連れて1028日にゴダムリ村を去り、114日にミドナプールにある自分の孤児院に到着、以後はそこで保護した。発見当時の年齢は不明だが、シング牧師は年少の子が約16ヶ月、年長の子が8歳と推定している。1124日、年長の子を「カマラ」、年少の子を「アマラ」と名づける。カマラは「桃色のハス」、アマラは「明るい黄色の花」を意味する。

 残念なことに、野生児とみなされて有名になった子供達の多くは長生きしません。人間に保護されて、急激な環境の変化に対応できない、とも解釈されますが、少女カマラとアマラの場合、孤児院の待遇が意外にも劣悪だったのかもしれません。

 おおかみ少女のことを今回取り上げました。文章を書いた久貫氏は、3つの選択肢を紹介してくれました。

@発見(はっけん)&確保(かくほ)されたら人間(にんげん)社会側(しゃかいがわ)()れてかれて、人間(にんげん)社会(しゃかい)()きていけるかどうか研究(けんきゅう)対象(たいしょう)として教育(きょういく)(ほど)された。

A(おおかみ)ちゃんを人間(にんげん)社会(しゃかい)()れて()かず、野生(やせい)環境(かんきょう)人間(にんげん)として()きるように教育(きょういく)する。

B自分(じぶん)(たち)生活(せいかつ)影響(えいきょう)()いように隔離(かくり)軟禁(なんきん)すること、もしくは飼育員(しいくいん)指導員(しどういん)みたいな(ひと)(そば)()けて、社会(しゃかい)(おおかみ)ちゃん(あいだ)にクッションを()れようとする。

 これらの3つの選択肢のほかに私も思いつきませんでした。本編の文章を紹介した久貫氏は次のように言います。「立場(たちば)(よわ)いと(なん)されてもしょーがないってのは(くや)しいですけど、(さか)らったらフルボッコです。福祉(ふくし)って(こわ)いですね。」と言います。立場の弱い人(ここではおおかみ少女、人間社会では障碍者)達は福祉の名の下にどれだけ非道なことをされてきたことか皆さん思い出してください。

 今では考えられないことですが、昭和40年代まで当事者の女性に何の具体的説明や情報提供、同意なしに子宮摘出の手術を行った事実があります。これは施設で女性の生理の介護を簡略化するために考えた手術だろうと思います。統合失調症も同時期まで遺伝性精神病と法律に明記されて断種手術が行われたり、差別・偏見に晒されたり、病院に入院させっぱなし、結婚してはいけない、結婚しても子供は作るなと平気で家族や、施設職員などが当事者に話していた資料もあります。社会の中で福祉の名の下に健常者がどんな酷いことを障碍者にしてきたことか・・・・・一部の福祉の専門家の良かれと思う福祉は果たして正しいのか・・・・・。ここで疑問があります、当事者だって人間なのに、健常者は結婚できて子供を作るのに、当事者にはそれらが認められないのはおかしいと言う考えを持って欲しいのです。優生保護法は、今ではありませんが、この法の下に障碍者にさまざまなことを福祉の関係者、専門家、医者もその当時は当たり前に、障碍者に酷いことをしてきました。People firstは、人間として大切なことです。

 現在では、自立生活センターの支援で施設職員や福祉の専門家や医者たちから地域で自立生活は不可能だといわれた重度の当事者が、介助を使いながら地域社会で自立生活をしています。1980年代、自立生活センター(CIL)の第一号ヒューマンケア協会が東京の八王子で産声を上げました。現在では、国内に130くらいの自立生活センターがあります。目標は、全国各都道府県に最低1つ以上を目標に、自立生活センターの設立に全国自立生活センター協議会(JIL)は支援しています。私が、自立生活センターの行った運動の中で、当事者支援の介助を有償化したことは大きな意義があったと思います。また当事者エンパワメントのピア・カウンセリング、自立生活プログラム(ILP)等障碍者の自立支援には大きな力になりました。障碍者運動は長期的なスパンで戦略的に続けることが大切です。現在、自立生活センターでは当事者を主体として仲間の当事者に寄り添って支援をしております。国や、地方自治体も障碍者の対応は変わりました、一部対応に温度差はありますが、障碍者差別解消法も法律となりました。福祉法では障碍者の地域支援に障碍者総合福祉法まで進化してきました。

 私は思います。立場の弱い人たちは、常にどうして欲しいか支援が欲しいのか?差別や偏見だと意見を主張し続けることが大切だと考えます。社会の中で、手を上げ続けることは大切なことではないかと今回のおおかみ少女でいろいろ考えさせられました。彼女たちは、意志の疎通の言葉がなかったので保護した人の良かれと思う福祉を施されました。健常者のよかれという福祉の享受って怖いですね。われわれ障碍者は団体で運動をし続けることが本当に大切なことなのですね。一人より団体のほうが、それがうねりとなり力となります。でも本当に大切なのは、当事者の自己決定、自己実現、自己責任だと思います。そして、運動は長期的な戦略で続けることが大切ですね。SAMは、これらのことの確認と実感をしております。勉強不足です。(恥ずかしい!)

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